2歳4ヶ月の息子がいる。歩き始めた頃はあれほど可愛かったのに、昨日なんて睨みながら突進してきた。「怒り」である。
当校の定期発表会は年々時間が長くなり、今年の公演は6時間にも及んだ。この11月5日の為に生徒達はピアノや声や踊りと向かい合い煌びやかな衣裳を用意して体調を整える。講師である妻は午後から23:00頃までのレッスンをこなし2Fリビングに辿り着いた途端ソファに倒れ込む。息子はリハーサル映像をテレビで見ながらひたすら踊り続ける(自分の出ない曲を中心に、、)。
私でも前日のリハから数えると終演まで約18時間をホールで過ごす。出演者はそれ以上だ。さらに小学校の高学年にもなると、一人一人に舞台以外の仕事が割り振られる。受付、案内、影アナ、誘導、ドア係などなど。そこで2歳の子が泣き出したりして(全く問題ない)、舞台裏は楽しいほど大騒ぎだ。
例の如く、演奏を文章にはしない。できない。1つの音が膨らみ始めて消えるまでのアルゴリズム、その繰り返しがまたあちこちで生まれ、同調しまくる。これまで音楽を文字にできたのは樋口毅宏先生(未成年は読んじゃダメだよ!)と、恩田陸先生の「蜜蜂と遠雷」(ピアノ弾くなら絶対に読まなきゃだめだよ!)だけだ。調律師を扱った宮下奈都先生「羊と鋼の森」はちょっと残念だった、と付け加えておく。
一人一人に自身とのドラマがあり、御家族のバックアップがあり、仲間との尊重があり、先生への信頼がある。自分達でイベントに最大限携わり、自発的に様々な発見をする。量産型ラッパーやレゲエディージェイはすぐに親や仲間に「感謝!」してしまうが(マジのラッパーは口にしない。BOSS the MCとか)、音楽家はそんなことはしない。歌に、ピアノに、その音に感情を込めることができる。カルチャーではない。主題を言ってしまう映画は駄作だ。
生徒達の本番映像やライン音源を、Final Cut Pro Xに読み込んで、マルチカム編集するのがこれから1ヶ月間の私の幸せ。
本番、合唱の最中に舞台前に設置されたコンデンサーマイク(デリケートで有名な機材、、)を手でガリガリしながら息子は笑顔でこちらを眺めていた。その件を昨日少しおちょくったら睨みながら突進してきたわけです。「怒り」をバネにぼよよんと、またすぐに踊り出すのですが。
「大きくなったら何になるの?」「お空にいく、足で、ぼよよんと」
歌の力は偉大過ぎて、生徒達は素敵過ぎて、想像や創造を2歳児に教育ではなく体感させてくれた。参りました。
みんな、凄かったよ。お疲れ様。
















コメントを残す